バーテンダーの始まりと終わり

テストも兼ねて自分語り

201X年4月中旬

華やかな「Bar」の世界に憧れ、ぼくは3年通った学校を親の反対を押し切り中退し

地元のバーのマスターに憧れ、バーテンダーの門戸を叩いた

僕が配属されたのは日本一のビジネス街の外れにこっそりと佇むお店

幼いながらにイメージしていた物と違う部分もあったが

それはそれで新鮮で、日に日にバーテンダーという仕事への解像度が際立っていった

僕の入社したバーの会社は閉店が当時のバーとしては早く

日付が変わる前にはお店を出て終電に乗っていた。

地元に着いたら朝までそのマスターのバーでグラス洗いやカクテル作りを教えてもらった

もちろん、配属されたお店の店長さんや、周りの姉妹店の先輩たちからも面倒を見てもらっていたが

当時は二十歳になりたてのエネルギーが満ち溢れていた青年だった。

師匠とも言える地元のバーのマスターも若かりし頃、僕と同じ地で修行をしていたのだ

師匠の後輩のお店に顔を出して仲良くしてもらったり、そのツテでまた新たなお店に顔を出して、

そのお店のカクテルの味や技術を覚え

味を覚えたら、営業中、自分で作ってお客さんと仲良くなって常連さんになってもらう

営業後は先輩や仲間、常連さんとお酒を飲んで、道楽の道を身をもって勉強する

バーテンダーの見えざる部分の大半はこんな感じだ

二日酔いのまま、店前の清掃を行うと

路肩にこれ見よがしに高級車が停めてある

この土地柄では何も珍しく無い。

だが血の気の多い青年だった自分は

「チクショー!いつか俺だって!」

営業で散々シェーカーを振ったあと、地元で朝までシェーカーを振る

もちろんこれで偉くなれれば苦労はない。

だが何かしてないと落ち着かなかったのだ

それから何年か経った

例の流行り病だ

バイトは全員解雇されて

自分は運良く正社員になっていたが部下を失った

新人と時と立場も少し変わって

異動した先で店舗での業務の傍ら、会社のWEBコンテンツの企画、制作も携わっていた

流行り病の影響で3度4度と休業、自宅待機、在宅ワークでの資料整理などを行っていた

休業、在宅期間仕事らしい仕事はしてなかったが給料は満額もらえた

だが自問自答する日が増えた

「俺ってこんなことしたくてこの会社入ったんだっけ?」

自宅待機が応えたのだろう

たまに休業が明けて店に出勤すると

街には当たり前のように高級車が列を成して走り

高層ビルが煌びやかに光を放つ

それらが目に映ると

「チクショー!いつか俺だって!」

中身は何も変わってなかった

だが周りは容赦無く変わっていく

チンタラ在宅ワークをしている間に、どんどんなにかに置いてけぼりになってしまった感じがした

何故かわからないが、とても何かに焦っていた

若いうちに高級車に乗りたいとか、こんなんで家庭持てるのかとか、

欲望と見栄と自分の作った社会人像に首を絞められていた

ついに耐えられなくなって僕は会社をあっさり辞めてしまった

自由ではある分、収入はもちろん減ったし稼げないと容赦無く支払いや人付き合いの出費が牙を剥く

猛獣に首を食いちぎられないように、今際の際で足掻いてみます

管理人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントする